上州(群馬県)名物「焼きまんじゅう」専門店:美濃屋



まんじゅうの始まりには、諸説がありますが、その一つには今の群馬県前橋市のお店が起源と言われています。安政4年(1857年)に小麦粉ともち米を原材料に、どぶろくをタネ(発酵材)としてまんじゅうをつくりました。
どぶろくをタネにして発酵させたところが従来のものと違って珍しかったのですが、ただの白いまんじゅうでは面白味がないと考え、長い竹の串に刺し、味噌を付けて焼いて売り出しました。焼きまんじゅうはこの時代が始まりといわれています。
 この頃の名称は「味噌付きまんじゅう」といって1尺3寸ほどもある長い竹串に5個刺しのもので、1本2文であったそうです。また、前述のただの白いまんじゅうのことを「すまんじゅう」といいますが、名前の言われには3通りの解釈があります。まず、香りに酸味があり酸っぱいので「すまんじゅう」。割ると中に「す」が入っているので「すまんじゅう」。さらに、あんこも何も入らず、味噌付まんじゅうとして未完成なもの、すなわち「素まんじゅう」という意味があると言われています。この「すまんじゅう」に味噌ダレを付けて焼いたのもが「焼きまんじゅう」ということになります。
                                  <日本の食生活全集10「聞き書 群馬の食事」より>

城の山も今宵限り・・・
という名台詞で有名な国定忠治も「焼きまんじゅう」の歴史を語る上では欠かせない存在なのです。というのも、大官に追われて赤城山を下り、麓まで逃げ延びてきたところ一軒の民家の明かりが見え忠治はその民家に身を寄せ、麹を重ねて作った地酒をご馳走になる。手厚いもてなしで、つかの間の休息をとった忠治は飲みきれなかった地酒を土産にと勧められ、軒先に置いてあった地粉に混ぜてまんじゅうを作り、持ち帰り旅立った。それ以来、この辺りでは地粉と麹を混ぜたまんじゅう作りが始まったという。
 実際に、数多くある群馬の焼きまんじゅう屋もこの赤城山麓を中心に扇状に広げた地域 南麓に多く現在も存在している。




 タレを付けずにそのまま両面に焦げ目が付くぐらい焼いてから、お皿などに取ってタレを付けて出来上がり。


 タレを付けてから、フライパンに油を引かずそのまま両面に焦げ目が付くぐらい焼いてから、もう一度タレを付けて出来上がり。
                                        (※焼きすぎると固くなる場合もあります)

 まんじゅうを電子レンジで約1〜2分温めてから、タレ・砂糖・砂糖醤油・バターまたはマーガリン等を付けて召し上がると普段の味とは違った味を楽しむことが出来ます。


 密封パックのまま冷蔵庫に入れて5〜6日(季節によって異なります)。
 長期保存したい場合は、密封パックのまま冷凍してください。
 解凍する時は蒸し器・電子レンジ等を使って解凍してください。(2〜3分)
 (※霧吹き等で水分を少し加えると、より一層やわらかくなります)